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15.04.21 カテゴリー:35山口県

学問の神となった偉人 松蔭神社 2015.04.21 「大河ドラマ~花燃ゆ~」ゆかりの地をめぐる その1

●明治40年(1907)、松下村塾出身の伊藤博文や野村靖が中心となって、ご実家の杉家の人々が建てられた松蔭先生の御霊を祭るほこらを、公の神社として創建しようと、山口県に請願書が提出される。同年10月4日、当時の社格制度の中で県社の社格をもって創建が許可され、土蔵造りのほこらを松下村塾南隣に移して本殿なる。(松蔭神社ホームページより:以下同じ)

●タカヤマは、あるところに杉家の実家と松下村塾があり、松蔭神社整備のおり、実家と塾が移築されたのではと思っておったのですが、まちがいでした。「杉家の実家」と「松下村塾」のある地を、整備・拡張して、現在の萩市「松蔭神社」が完成されたのです。

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●参殿まえには「花燃ゆ」ののぼりが立ち並んでいます。

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●「明治維新胎動の地」の碑。昭和43年、明治維新100年を記念して、故佐藤栄作首相の筆により、建立されたそうです。(ホームページより)

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●この神社が、山口県による県社であるとを示しています。

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●「親思ふこころにまさる親ごごろけふの音づれ何ときくらん」松陰先生が安政6年(1859)10月20日付けで家族に宛てた遺書の中で詠われた有名な和歌の碑。(ホームページより)

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●本殿。現社殿は昭和30年(1955)に竣功(ホームページより)

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●松門神社、本殿の左にある。現社殿の竣功に伴い、それまでの松陰神社社殿を移築し、松陰先生の塾生・門下生を御祭神として昭和31年(1956)に創建。(ホームページより)

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●勧学堂。元々品川神社といわれ、萩市椿東の松本川そばの品川弥二郎生誕地にあり、品川弥二郎命がおまつりされていた。後にこれを松陰神社境内に移し、品川弥二郎命は松門神社に合祀し、御堂は勧学堂と命名された。(ホームページより)

●後でふれる「松下村塾」「杉家の実家」のほか、宝物殿「至誠館」、茶室「花月楼」、「吉田松陰歴史館」などの建物を要した、広大な神社でした。

松蔭神社データ
住所  山口県萩市椿東1537
電話  0838-22-4643
駐車場 無料(境内と神社前交通公園)