15.04.21 カテゴリー:35山口県
明治維新胎動の学び舎「松下村塾」2015.04.21 「大河ドラマ~花燃ゆ~」ゆかりの地をめぐる その2
●講義室には塾生だった「松浦亀太郎」さんが書いた松蔭先生の肖像画と像が飾られています。
●もうひとつの部屋には、塾生やかかわりの深かった偉人たちのそうそうたる写真が並んでいます。
●上段左より「久坂玄瑞」「高杉晋作」「吉田松陰」「前原一生」「木戸孝充」
中段左より「山田顕義:司法大臣・日大創設者」「品川彌次郎:内務大臣」「野村靖:内務大臣」「山県有明:総理大臣」「伊藤博文:総理大臣」
下段左より「境二郎:島根県令・塾保存の提唱者」「飯田吉次郎:奇兵隊士・鉄道技術者」「河北義次郎:桑港領事・韓国大使」
●萩市教育委員会が作成した案内看板には以下のように記載されていました。
●国指定「松下村塾」
所在地 萩市大字椿東字新道
指定年月日 大正11年10月12日
説明
吉田松陰は安政四年(1857)実家杉家宅地内にあった小屋を改造して八畳の塾舎としさらにその翌年十畳半を増築した。これが現在の松下村塾で、松蔭27歳の時のことである。
ここで松蔭が教育した間は1年であり、実家の幽囚室時代を通算しても二年半に過ぎない。この短い期間に、この粗末な教室から若い松下村塾グループが育ち、安政の大獄で刑死した師の志を継いで尊攘倒幕運動に挺身し明治維新の原動力となった。同志の主な者は激動期に死んで行ったが、生き残った者は維新政府の中枢に立って新しい日本を指導することになった。
萩市教育委員会