15.04.22 カテゴリー:35山口県
此処もであったか!文どの!その幅広いご活躍。感泣至極でございます! 防府天満宮 2015.04.22 「大河ドラマ~花燃ゆ~」ゆかりの地をめぐる その6
●次におとづれたのが「防府天満宮」。山口県観光連盟サイト「おいでませ山口へ」によると「学問の神様としてあがめられている菅原道真を祀った「日本最初の天満宮」で、京都の北野天満宮,福岡の太宰府天満宮とともに日本の三天神といわれています。」との事。これは参拝をせねばと思い、陽も傾き始めた午後4時過ぎに訪問できました。
●参道入り口にある観光案内所には「やまぐち幕末ISHIN祭」ののぼりがたくさん。係りの人に聞くと、防府はドラマ「花燃ゆ」の下半期の展開に大事な街とか。
●主人公「文」さんの旦那さんの「久坂玄瑞」さんは蛤御門の変で亡くなります。文さんの姉の「寿」さんは「小田村伊之助」の妻ですが、夫を残し先立ちます。共に連れ合いを無くした義兄弟は再婚し、小田村さんは藩命により「楫取素彦」と改名し、楫取さん夫婦は晩年の生活の場をこの防府に選ぶのだそうです。
●本殿の楼門
●拝殿
●志望校への合格お礼。
●楫取夫妻が晩年をすごした防府市の防府天満宮には、幕末維新スポットが盛りだくさんだそうです。案内パンフを片手に、神社を周遊してみます。
●幕末維新スポット「萩狛犬」
萩の石職人により防府・大宰府・北野の各天満宮に奉納。禁門の変後、会津藩士が北野天満宮で長州ゆかりの狛犬を倒そうとしたところ、突如の雷があり、天神様の祟りと恐れた藩士が逃げ去り破壊を免れたという逸話が残っている。(案内パンフより)
●幕末維新スポット「大専坊」
禁門の変へと兵を進めようとしていた総大将来島又兵衛と、それを止めようとした高杉晋作とが激論を交わした場所です。また幼少の伊藤博文が起居していた記録が残つています。(案内パンフより)
●幕末維新スポット「春風楼」
江戸文政年間、五重塔として工事が始まるも資金難のため中断、明治6年に2層の楼閣様式として完成し祈願者の潔斎場所とされました。(案内パンフより)
●幕末維新スポット「野村望東尼の像」
望東尼は福岡藩士の娘として生まれ、高杉晋作ら尊皇攘夷の志士たちと交わります。薩長同盟が成り、軍が東上する際に防府天満官で戦勝祈願を行い7日間の精進潔斎で1日1首句を詠み天神さまに奉納をしました。(案内パンフより)
●幕末維新スポット「戦勝祈願の石柱」
武士だけでなく庶民も志士たちの戦勝を天神さまに祈り、有志によつて千日詣の開始と終了の記念碑が建てられました。
(案内パンフより)
●幕末維新スポット「貞宮遙拝(ようはい)所」
明治30年楫取素彦は明治天皇第10皇女貞宮多喜子内親王の御養育主任に任ぜられました。内親王は明治32年に夭折されたため遺品が下賜され、その安置場所として建立されました。以降、貞宮のご命日である1月11日には遥拝式が執り行われ楫取素彦も参列しました。(案内パンフより)
●幕末維新スポット「揖取素彦と文の像」
防府ライオンズクラブ55周年、防府中央ライオンズクラブ50周年を記念して(平成27年3月)建立されました。東京造形大学小川幸造教授による作品です。(案内パンフより)
●幕末維新スポット「菅公御神忌千年式年大祭記念碑」
明治35年楫取素彦は「菅公御神忌千年大祭」において奉賛会の総裁に就任しました。揮毫は有栖川宮威仁親王によるものです。(案内パンフより)
防府天満宮データ(山口県観光連盟サイト「おいでませ山口へ」より)
所在地 〒747-0029 山口県防府市松崎町14-1
電 話 0835-23-7700
歴史館入館料 大人500円 高校生以下無料
登録有形文化財 防府天満宮本殿・幣殿・拝殿
無料駐車場「防府市まちの駅うめてらす(観光案内所)前に十台前後)