15.04.26 カテゴリー:34広島県
平和記念公園めぐり。平和と鎮魂を願う慰霊碑をめぐる。世界遺産堪能ツアーVol.2-3 2015.04.26
●平和記念公園は広島市の中心部にある広大な公園で、世界の恒久平和を願って爆心地に近いこの場所に建設されました。園内には、原爆投下当時の広島の様子を展示した広島平和記念資料館や世界遺産に登録されている原爆ドームや原爆死没者慰霊碑、国立広島原爆死没者追悼平和祈念館、広島国際会議場などがあります。平和への願いを込めて鳴らされる平和の鐘の音は、環境省が選んだ、残したい日本の音風景100選にも選ばれています。(ひろしま観光サイトひろしまナビゲーターより)
●数え切れないほどある、慰霊碑・記念碑をまわります。
(以下、ひろしま観光サイトひろしまナビゲーター及び、現地案内看板より転載・抜粋しています)
●原爆死没者慰霊碑(広島平和都市記念碑)
建立年月日 昭和27年(1952年)8月6日○世界最初の原子爆弾によって壊滅した広島市を、平和都市として再建することを念願して建立されたこの碑は、東京大学教授(当時)丹下健三さんが設計したものです。○原爆犠牲者の霊を雨露から守りたいという気持ちから、屋根の部分がはにわの家型をしています。○碑には、「安らかに眠って下さい 過ちは繰返しませぬから」という碑文がきざまれており、中央の石室には、国内外を問わず、亡くなった原爆被爆者の名前を記帳した原爆死没者名簿が納められています。名簿は関係者の申し出により書き加えられ、平成26年(2014年)8月6日現在で、107冊(292,325人の名前が記帳された106冊と「氏名不詳者多数」と記された1冊)になっています。
●平和の像「若葉」(湯川秀樹歌碑)
「まがつびよ ふたたびここに くるなかれ 平和をいのる 人のみぞここは」
という湯川秀樹の歌をきざんだ碑です。(「まがつび」とは、災害・凶事を起こす神。)○「私は、真理の探求ということを誇りに思うし、自信を持っているし、私は一生それを貫いてきた。何の悔いもない。けれど、8月6日のあの事件を聞いたときに、科学者は科学者としての自分に対する責任があることを知った。」(湯川秀樹)○少女と子鹿のブロンズ像は、広島県御調町生まれの彫刻家、円鍔勝三さんの作品です。
●原爆犠牲国民学校教師と子どもの碑
建立年月日 昭和46年(1971年)8月4日○幼いため親元に残された1・2年生と、建物疎開作業に従事させられた高等科の生徒が原爆の被害にあいました。犠牲となった国民学校教師・子どもの数は、正確にはわかりませんが、教師約200人、子ども約2,000人と推定されています。○「太き骨は先生ならむ そのそばに 小さきあたまの骨 あつまれり」○被爆歌人正田篠枝さんのこの短歌は、原爆の劫火の中で、教師を頼りながら死んでいった児童・生徒と、彼らを気遣いながら死んでいった教師の無念さを表現しています。
広島平和記念公園データ(ひろしま観光サイトひろしまナビゲーターより)
住所:〒730-0811 広島県広島市中区中島町1、
〒730-0051 広島県広島市中区大手町1-10
アクセス 広島駅前から広島電鉄電車「宮島口」「江波」方面行に乗車し、「原爆ドーム前」下車
料金 無料