15.04.27 カテゴリー:34広島県
これが広島の見納め処。史跡「広島城」。ここも激しい核の惨禍に遭っていた! 2015.04.27
●サザンと同じ時間を共有した興奮を沈め、交通安全で自宅一宮に向かう朝。ホテルから徒歩5分の広島城内の早朝散歩を楽しみました。
●広島城は、豊臣秀吉の五大老の一人として知られる毛利輝元が築いた典型的な平城です。江戸時代には、福島氏、次いで浅野氏が居城していました。築城以来の天守閣は昭和6(1931)年に国宝に指定されましたが原爆によって倒壊し、昭和33(1958)年に外観復元されました。平成元(1989)年には築城400年を機に内部改装を行ない、現在は武家文化をテーマとした歴史資料館となっています。
●「天守閣」をはじめ、城内にあった「護国神社」「大本営跡」など、すべての建物は被爆・焼失してしまったそうです。
(広島城ホームページより)
●周囲は美しいお堀と石垣に守られています。
●外から見える平櫓です。お堀にその姿を映しています。
●復元された表御門から入場します。
●二の丸の広場。広場から太鼓櫓と多門櫓を見渡します。
●二の丸広場から中御門跡をすぎると本丸下段の広場になります。ここには広島護国神社があります。
●この護国神社では子どもらの成長を願って「広島泣き相撲」がこどもの日の5月5日に開かれているようです。
●広島城の別称は「鯉城(りじょう)」。①「鯉」という地名だったから。②お堀に鯉がたくさんいたから。③天守が黒いから。
諸説あるようですが、広島東洋カープの球団名となるほど市民に親しまれた別名。護国神社にもそれにあやかる狛犬ならぬ「狛鯉」がありました。
●護国神社前にある「旧中国軍管区司令部 防空作戦室」です。事前の申出により、地下の部屋の見学もできるようです。
原爆で、市内の電信電話は破壊されましたが、かろうじて残ったここの軍事専用電話を使って、学徒動員していた女学生が広島の壊滅を通信しました。これが、広島の原爆被災の第一報だったそうです(広島城ホームページより)
●明治27年(1894)8月、日清戦争が始まると、同年 9月15日には、明治天皇と共に大本営(天皇の本営で戦争時の最高統帥機関)が広島城内に移り、10月15日には広島で臨時帝国議会が召集されました。
その後も大本営は跡地として保管され、この広島城本丸にありましたが、ここも、被爆により焼失しています。
●右面が被爆の爆風により文字が焼け落ちています。この石柱からも被爆のすごさが伝わります。
●鯉城天守閣です。
●天守閣は博物館になっており、タカヤマの訪問時は営業時間外でしたので、概観の写真のみ撮影しました。
●天守以外の施設は整備された公園になっている城内にあります。
広島城天守閣データ(広島県観光サイトひろしま観光ナビより)
住所 〒730-0011 広島市 中区基町21-1
天守閣営業時間 9時00分から18時00分(12月から2月の平日は17時00分まで、入館の受付は閉館の30分前まで)
休業日 12月29日から1月2日 ※臨時休館あり
入館料金 大人360円,小人(高校生以下)180円
駐車場 観光バス専用の駐車場は、広島城の南側(城南通り北側)に。(一般の専用駐車場は無い)