15.09.08 カテゴリー:03岩手県
岩手県南下、日本の遺産は世界の遺産、平泉・一関 2015.09.08(火)
岩手観光の最終日。何としても時間をかけて見たいのは平泉。平安時代末期、この東北一円に広大な勢力を安定して誇った、奥州藤原氏の豊かな仏教文化に触れます。
●世界遺産をめぐる。中尊寺(ちゅうそんじ)
駐車場に相棒BRZを停めて、月見坂を登る。中尊寺は、本堂・金色堂を中心に、「薬師堂」「白山神社」はては「弁慶堂」に至るまでお堂の集合体。それは神社仏閣のテーマパークです。
まずは本堂をお参り。朝早くから、庭の修復の作業員の方が熱心に動いてらっしゃいます。
お庭や参道をおそうじなさっている方々と、朝の挨拶を交わしながら、一つ一つのお堂にお参りをします。
宝物殿である「讃衡蔵(さんこうぞう)」で奥州藤原氏と中尊寺について、勉強したあと、いよいよ金色堂です。
金色堂はお堂そのものが美術工芸品。立派なコンクリート造りの近代的覆堂に守られて、金色堂は光輝いていました。彫刻や、微細な美術工芸技術を体感するためには、お堂との距離がありすぎますが、事前に宝物殿でのハイビジョン映像で見た美しさが、眼前にあることは確認できます。
タカヤマの無知ゆえ、さらに驚いたのは、この金色堂は、奥州藤原氏四代の供養堂ともなっており、台座の中に、四代、四体の亡骸が、金色の棺に納められ、今現在も眠られている事でした。
●世界遺産をめぐる。毛越寺(もうつうじ)
立派な本堂にお参りします。お堂の中に入れていただくことが出来、ご本尊に直接お参りすることが出来ました。
1000年前に、奥州藤原氏が造営した当時のこの毛越寺の復元絵図を見ます。大きな池を覆うように、いくつものお堂が立ち並び、浄土を体現する庭園が広がっていたようです。現在復元されている庭園を歩き、極楽浄土を感じます。
●その他の世界遺産
観自在王院跡(かんじざいおういんあと)
平安時代の作庭手法に基づいた庭園跡が残っています。ここにも広大な寺院があったようです。ここは毛越寺に隣接する敷地になります。
無料光院跡(むりょうこういんあと)と金鶏山(きんけいざん)
京都の平等院を超える大きさの寺院があった無料光院。その庭は浄土庭園の最も発達した空間であるとパンフレットが伝えています。
写真は、その浄土空間を演出するための世界遺産である「金鶏山」をバックにした、庭園です。
その他にも、世界遺産の指定は受けていませんが、藤原氏の執政の中心地として建てられた、「柳御所遺跡跡(やなぎのごしょいせきあと)」があります。
ここには資料館のほか、遺跡発掘調査のため岩手大学の研究所が、ありました。
●義経と弁慶
日本全国にその伝説があり、悲劇のヒーローとして名高い義経とその従者弁慶。最後の地として定説になっている平泉の地を訪問しました。
「高館(たかだち)義経堂」
義経が妻子とともに自害した丘陵地の「高館(たかだち)」にある義経公の像が祀られたお堂です。その傍らには供養塔があり、訪れた人が花を手向けられていました。
「弁慶の墓」
武蔵坊弁慶の墓は、中尊寺に向かう、月見坂に入る手前にありました。
●奥の細道、芭蕉の句碑
この平泉で二つの芭蕉の句碑を見つけました。
「五月雨の降のこしてや光堂 (さみだれの ふりのこしてや ひかりどう)」
の句碑です。中尊寺内に芭蕉の像と一緒にありました。
高館(たかだち)に登り、その川の美しさともののあわれを詠んだ
「夏草や兵どもが夢の跡 (なつくさや つわものどもが ゆめのあと)」
高館義経堂の手前にありました。
●伝説のお堂「達谷窟(たっこくのいわや)毘沙門堂」
平安時代初め、この地の主領・悪路王が立てこもった窟屋に、坂上田村麿が蝦夷討伐の記念と仏の加護への感謝を込めて建てたお堂だそうです。
自然の地形を利用して、足場が組まれていました。お堂の中には勇壮な毘沙門天がありました。
お堂を出た広場の岩に直接掘られた、「岩面大仏面」がありました。その姿と表情がユーモラスです。
●厳美景(一関市)
世界遺産からほど近く、一の関市に入ったばかりのところです。
伊達政宗が、松島とともに、その美しい場所として好み、よく訪れた渓谷だそうです。
お団子が名物で、対岸にある団子やさんが、渓谷の休息地までワイヤーを張り、籠に入れた団子を、空飛ぶ団子(かっこうだんご)として届けるのが有名になっているようでした。