18.04.30 カテゴリー:21岐阜県
恵那市再び 女城主の里いわむら おおきなお世話旅岐阜 2018.04.30
朝の連続テレビ小説「半分、青い。」のおかげで、東農かぶれになっているおせっかいタカヤマ夫婦は、再び岩村町を訪れました。
中央線快速で恵那駅に、ここで明知鉄道に乗り換えます。
窓口でドラマのイメージの「フリー切符」を購入。一時間に一本の一両編成の明知鉄道に乗車します。
明知鉄道のインスタグラムにアップされているこの写真。ドラマのラッピング車両です。この車両に乗車できることを期待したのですが。
残念ながら、ホームに入ってきたのは「バロー」のラッピング車両。大型連休でお客さんも大勢いました。
単線をのんびりと進む明知鉄道。途中「勾配日本一の駅」として有名な「飯沼駅」なんてところも経由します。
岩村に到着。
大勢のお客さんでにぎわう、ドラマロケ地の商店街を再び抜けて、岩村城址公園へ
藩主邸跡には、太鼓櫓や藩校正門などが移築、整備され、広々とした駐車場になっていました。
さて、ここから標高717mに築かれた本丸跡までは案内表示によると800mだそうです。
公園には、資料館を始め、岩村の三偉人の像と記念碑がありました。
幕末の儒学者で日本の孔子と呼ばれる「佐藤一斎」さん。
明治から昭和に日本の植物学の基礎を築いた「三好学」さん。
同じく明治から昭和に活躍された教育家で歌人の「下田歌子」さんです。
さて、公園を過ぎると登城の道は勾配を増していきます。
「初門」の石垣。
「大手門・三重櫓」の石垣など、往時をしのばせる巨大な石垣をいくつも過ぎていきます。
これは岩村城の別名となっている「霧ヶ城」の由来となった井戸「霧の井」。
敵の急襲の際、この井戸にお城秘蔵の蛇の骨を投じると、霧が湧き出し城を守ったという言い伝えがあるそうです。
雄々しい「六段壁」と名付けられた石垣。本丸は目の前です。
山頂の広々とした「本丸」跡に到着しました。
女城主「おつや」様も眺めた、城下を見下ろすと、左手にこじんまりとした駐車場が!
知らなかった、ちょっとびっくり。
でも、歩ききった清々しい達成感のうれしさは変わりませんでした。
下りはすいすい、再び城下町へ。
真っ先に飛び込んだのは銘酒「女城主」の蔵元。
甘酒ソフトクリームでのどの渇きを癒し、甘酒とお酒の試飲をさせていただきました。
本日、もうひとつの主たる訪問は、七年に一回二週間だけ行われる「いわむら石室千体佛御開帳」
ものの本によると、1632年に岩村城の藩主 松平乗寿が菩提寺の龍厳寺に命じて地中深く埋蔵させた浄土教一千部を守るために、一千体の阿弥陀像をその上部に設けた石室に安置。
この一千体の光明仏は以後七年ごとに御開帳される慣わしとなっているそうです。
こんな狭い入口でお参りし、覗き込むように千体仏を拝みました。
まばゆいほどの輝です。想像よりも小ぶりの仏さまでしたが、その美しさに感動しました。